昭和30年代後半から40年代前半にかけて高度経済成長期にあった国内では、公害や人口の都市集中と地方の過疎化が問題となりました。その対策として企業の地方分散や大都市からの工場分散、地方自治体による企業誘致が積極的に行われるようになります。
こうした背景の中、山形県でも1963(昭和38)年頃から企業誘致が活発になり、日本電気株式会社が建設した高畠製作所(現ASEジャパン株式会社)、東北パイオニア株式会社、新庄電気(現新庄ゼネラル株式会社)など、とりわけ電子企業が多く進出しました。1966(昭和41)年になると進出企業は14社にのぼり、生産額は年々増加、電気機械分野は昭和30年代からのトランジスタ産業のめざましい伸長を受け、機械工業の中核へと成長を遂げていきました。
1970(昭和45)年頃になると、鉄製の足踏みミシンからアルミやプラスチックを取り入れたミシンが生産されるようになり、加えて中国や台湾などの後進国の追い上げの影響もあって、ミシン部品製造はこの頃を境としてしだいに減少していきます。その結果、これまでミシン部品製造に依存していた山形県の機械工業は、工業用ミシンへの移行や、当時急成長を遂げていた自動車関連部品の製造や工作機械、精密機器等の製造などへ転換が進められるようになりました。また、1964(昭和39)年の立谷川工業団地を皮切りに、昭和40年代後半から工業団地の分譲が県内各地でさかんに行われるようになります。
◆工業立地件数(年度ごと)
年表
1969(昭和44)年 | 庄内支庁発足 |
1970(昭和45)年 | 日本万国博覧会開催 |
1971(昭和46)年 | 農村地域工業導入促進法施行 |
1972(昭和47)年~ | 沖縄返還による沖縄県の発足 |
1973(昭和48)年 | 石油ショック 寒河江中央工業団地分譲開始 鶴岡中央工業団地分譲開始 |
1974(昭和49)年 | 酒田臨海工業団地分譲開始 |
1975(昭和50)年 | 新県庁舎完成 |
1976(昭和51)年 | 酒田大火 東根大森工業団地分譲開始 |
1978(昭和53)年 | 米沢八幡原中核工業団地分譲開始 |
1983(昭和58)年 | (財)山形大学産業研究所設立 |
1984(昭和59)年 | 新庄中核工業団地分譲開始 |